Oct 4, 2015

大澤光民さんを見てもらうということ



大澤さんとお話ができるようになるまで少し時間が必要でした。私の場合いつもそうなのですが、この人はどういう人なのかが少し解るまで、私は話ができないのです。人見知りなわけです。そんな時間を得て少しずつ話ができるようになった時には、大澤さんが話をしている内容が彼の心の中から、声を使わないで伝えているように感じました。
そんなに静かに、飾らないままの人生の想いを話してくれていたのです。

私は、大澤さんのお話は大澤さんの言葉で書きたいと思いました。標準語ではなく高岡の言葉でです。

「陰で支えてくれている人たちへの、感謝の気持ちを思いながら作るっちゅうんかねえ」
「ご縁があったと感じたら、中途半端な気持ちでは絶対できないねえ」

大澤さんは、ご実家が農家なので、農作業は小さいころから手伝っていたそうです。農家の朝は早いです。

「朝4時過ぎからの山の色の変化、夕焼けの自然の感動、生命のすごさ言うんかねえ、それを感じるんよねえ」

「一日の終わり、一日の繰り返しの不思議さ。人間の生活に関係なく繰り返される、自然の生命の不思議さ。畑に大根、人参、玉ねぎ。食べ物の育つ不思議さやねえ」

「春夏秋冬、地球の上での自然という意味では同じながよねえ」

それが大澤さんの作品のイメージの基となっているそいうです。


大澤さんは、農家での暮らしの中で、農期の合間に銅器に出会ったそうです。
「布袋さんとか、床の間に飾る大事な間で、毎日仏の間にお参りしよったがよ」そうして、仕事をするうちに、それらを作る大事さいうんかねえ。そんなんを学んでいったがよねえ。そんでなんとなくやっとったことを申し訳なく思うて来るようになったんよねえ」

展示会は仕事を解って欲しいために始め、10年で独立し、50年目にして解ってきたと言います。

「大きな視野を持って見るということよねえ。世界中の問題として、日本の中で生かされていて、鋳金の銅鐸の中で、たいへんな中に生かされているので、引き継いでいかなくてはいけないちゅう思い出やりゆうがよねえ。技術、技法を引き継いで行くということやね」

「あたわり 言うんかねえ。備わったものいうんか。与えられたことやねえ」

美しいものを作る

「田んぼをする時も、苗の身になって、稲を刈るときも、どのくらいの高さで刈ったらいいか、切り株の高さを考えてするとか。来春、田んぼをおこす(耕す)時におこしやすいように」
仕事中もきれいにしたい。大澤さんは一つの作業が終る度に次の仕事へ気持ちを移しながら掃除をする。
いつも綺麗に仕事場を保つことは、美しいものを作るという「気持ち」なのです。


大澤さんのお話には、技術的な話をする中でも、大澤さんのする作業の意味として大澤さんの想いが語られる。

「立山の朝、森羅万象」

稲と話をしながら、光や水のバランスをを考える。稲の気持ちを考えるいうんかねえ。ほかの動物とはちがう。稲も生き物ながよねえ」

「立山、4月5月の田植」

「歴史の中の自分らあで、忌まれた(畏敬すべき崇高な)ところで生かされとるわけよね。
銅鐸とかに繋がってるよねえ」

                     大澤光民さんからの言葉より




私が大澤さんについて語ることは何も無くて、ただここに大澤さんの言葉を綴ることで、大澤さんが見えるのだと思いました。
自分の信念で、自分が御縁として巡り合った技術を、自ら継承する責を示し、その大切さを実感して継承する大澤さんの姿は、私たちに大事な何かを教えてくれている気がします。

大澤さんの高山の言葉を思い出しながら書きましたが、言葉尻の表現が違っている部分もあるかもしれませんがご了承ください。 2010年 10月

文・写真 Makkiko

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