私の仕事の紹介や、書籍の紹介もさせて戴いています。 Documentary Photography of the Arts / アートのドキュメンタリー写真撮影 Die Dokumentation in Fotogeschichten von MAKKIKO
Oct 8, 2015
Ausstellung "KOMIN OZAWA" in Fujitaya, Kanaya-matschi, Takaoka Toyama JAPAN - Zubereitung - 1
Initiative, Design und Versammlung, Zubereitung
die repräsentative / Momoko Tamura, Satomi ..
Toyama Universität, Fakultät für Kunst,
Förmige Gebäude Wissenschaft natürlich 4 Jahre
Förmige Gebäude Wissenschaft natürlich 4 Jahre
(Tenshin Yokoyama Seminar)
立案、デザイン、組み立て、展示準備
立案、デザイン、組み立て、展示準備
横山天心先生、 学生代表 田村桃子さん、さとみさん
他、富山大学 芸術文化学部、 造形建築科学コース4年生 (横山天心ゼミ)
富山大学の展示準備を担ってくださった方々へ、
本当に素敵な出会いをありがとうございました。
こんな素敵な展示会にしてくれてありがとうね。
これからも、素敵な生き方を続けてくださいね。
まき子
Oct 7, 2015
写真「工程の美」 大澤光民の展示会開催してくださった、高岡金屋町、そして鋳物の伝統を愛する方々へ
この写真展は、鋳物の伝統技術を継承する大澤さんの「人」と仕事を感じてらう、ということにこだわったことから歩き出した写真展でした。
2010年10月7日から2週 間、大澤さん宅の事務所に寝泊まりさせていただきながら、土と向かい合う大澤さんの生活の中で大澤さんのお話を伺い、写真を撮らせていただきました。
そしてその後、磨き上げを取り損ねた私は、 再度2011年5月に訪れ、また1週間お邪魔しました。
その時には、大澤さんは磨きも終わり色付けも終わっていたのにもかかわらず、付け た色を紙やすりで削り落とし、磨きの仕上げと色付けを再現してくださったのです。
そんな、大澤さんの人、一生懸命な生き方を少しでもご紹介したいと思いました。 そうして、2012年パリでの展示会が実現しました。
大澤さんに出会うことになったのも、2010年、おわらの風の盆を見に来たことから始まっています。
、カメラを持って歩いていた私に、竹中銅器の当時の近藤社長に声をかけていただき、大澤さんとの会合にご一緒させていただいたのことが大澤さんとの出会いでした。
今回、高岡の「金屋町楽市inさまのこ 」で大澤光民写真展を開催させて頂く事になりましたのは、大澤さんの、前に進んで生きておられる強い気持ちから実現した事だと思えます。
ドイツで撮影を続けている私は、 大澤さんにお電話で相談しました。 「高岡で体育館のような場所を借りることはできないでしょうか。」
大澤さんは、展示会場所として、ギャラリーかデパートというご自身ののスタイルを提案し てくださったのですが、私は私の写真を見てもらう写真展とは考えていなかったのと、 高岡のことを知らないので何とも体育館としか言いようがありませんでした。
そこで、大澤さんがお知り合いの方々に相談して下さり、国立大学法人 富山大学 芸術文化学部の武山良三先生にお会いしてくださるに至り、武山先生が「金屋町楽市inさまのこ 」での開催をご提案くださったいきさつがありました。
その上、武山先生の御厚意で大 学の武山良三先生、横山天心 先生、生徒さんの田村桃子さんと渡辺里美さん の多大な助けまで頂くことになりました事には驚きの感激でした。
実は私は、ドイツで撮影を続けるにあたりビザを申請してから、1年経ってもまだビザが取れず、ドイツから出られないままでした。
その私にご連絡を下さりながら、大澤光民さんを見ていただきたいままの気持ちを表現するためのデザインをしてくださり、形にしてくださいまし た。
こんなにお世話になって良いのだろうかと不安な気持ちでいっぱいでしたが、 こちらでも一生懸命な気持ちを前向きに受け止めて、大澤さんの人を見て頂 くことができればこの上ないと思い、甘えさせていただきました。
ここに展示しています写真の什器は、そんな皆さんの気持ちが込められてい る作品です。
ここには、大澤さんと富山大学の武山良三先生、横山天心先生、生徒さんの田村桃子さんと渡辺里美さん方の、鋳物の発祥の地、金屋町 での大澤光民さんを見てもらうことの意義への思いと、私の写真とのコラボ レーションです。
皆様、本当にありがとうございます。
2010年10月7日から2週 間、大澤さん宅の事務所に寝泊まりさせていただきながら、土と向かい合う大澤さんの生活の中で大澤さんのお話を伺い、写真を撮らせていただきました。
そしてその後、磨き上げを取り損ねた私は、 再度2011年5月に訪れ、また1週間お邪魔しました。
その時には、大澤さんは磨きも終わり色付けも終わっていたのにもかかわらず、付け た色を紙やすりで削り落とし、磨きの仕上げと色付けを再現してくださったのです。
そんな、大澤さんの人、一生懸命な生き方を少しでもご紹介したいと思いました。 そうして、2012年パリでの展示会が実現しました。
大澤さんに出会うことになったのも、2010年、おわらの風の盆を見に来たことから始まっています。
、カメラを持って歩いていた私に、竹中銅器の当時の近藤社長に声をかけていただき、大澤さんとの会合にご一緒させていただいたのことが大澤さんとの出会いでした。
今回、高岡の「金屋町楽市inさまのこ 」で大澤光民写真展を開催させて頂く事になりましたのは、大澤さんの、前に進んで生きておられる強い気持ちから実現した事だと思えます。
ドイツで撮影を続けている私は、 大澤さんにお電話で相談しました。 「高岡で体育館のような場所を借りることはできないでしょうか。」
大澤さんは、展示会場所として、ギャラリーかデパートというご自身ののスタイルを提案し てくださったのですが、私は私の写真を見てもらう写真展とは考えていなかったのと、 高岡のことを知らないので何とも体育館としか言いようがありませんでした。
そこで、大澤さんがお知り合いの方々に相談して下さり、国立大学法人 富山大学 芸術文化学部の武山良三先生にお会いしてくださるに至り、武山先生が「金屋町楽市inさまのこ 」での開催をご提案くださったいきさつがありました。
その上、武山先生の御厚意で大 学の武山良三先生、横山天心 先生、生徒さんの田村桃子さんと渡辺里美さん の多大な助けまで頂くことになりました事には驚きの感激でした。
実は私は、ドイツで撮影を続けるにあたりビザを申請してから、1年経ってもまだビザが取れず、ドイツから出られないままでした。
その私にご連絡を下さりながら、大澤光民さんを見ていただきたいままの気持ちを表現するためのデザインをしてくださり、形にしてくださいまし た。
こんなにお世話になって良いのだろうかと不安な気持ちでいっぱいでしたが、 こちらでも一生懸命な気持ちを前向きに受け止めて、大澤さんの人を見て頂 くことができればこの上ないと思い、甘えさせていただきました。
ここに展示しています写真の什器は、そんな皆さんの気持ちが込められてい る作品です。
ここには、大澤さんと富山大学の武山良三先生、横山天心先生、生徒さんの田村桃子さんと渡辺里美さん方の、鋳物の発祥の地、金屋町 での大澤光民さんを見てもらうことの意義への思いと、私の写真とのコラボ レーションです。
皆様、本当にありがとうございます。
Oct 4, 2015
大澤光民さんを見てもらうということ
大澤さんとお話ができるようになるまで少し時間が必要でした。私の場合いつもそうなのですが、この人はどういう人なのかが少し解るまで、私は話ができないのです。人見知りなわけです。そんな時間を得て少しずつ話ができるようになった時には、大澤さんが話をしている内容が彼の心の中から、声を使わないで伝えているように感じました。
そんなに静かに、飾らないままの人生の想いを話してくれていたのです。
私は、大澤さんのお話は大澤さんの言葉で書きたいと思いました。標準語ではなく高岡の言葉でです。
「陰で支えてくれている人たちへの、感謝の気持ちを思いながら作るっちゅうんかねえ」
「ご縁があったと感じたら、中途半端な気持ちでは絶対できないねえ」
大澤さんは、ご実家が農家なので、農作業は小さいころから手伝っていたそうです。農家の朝は早いです。
「朝4時過ぎからの山の色の変化、夕焼けの自然の感動、生命のすごさ言うんかねえ、それを感じるんよねえ」
「一日の終わり、一日の繰り返しの不思議さ。人間の生活に関係なく繰り返される、自然の生命の不思議さ。畑に大根、人参、玉ねぎ。食べ物の育つ不思議さやねえ」
「春夏秋冬、地球の上での自然という意味では同じながよねえ」
それが大澤さんの作品のイメージの基となっているそいうです。
大澤さんは、農家での暮らしの中で、農期の合間に銅器に出会ったそうです。
「布袋さんとか、床の間に飾る大事な間で、毎日仏の間にお参りしよったがよ」そうして、仕事をするうちに、それらを作る大事さいうんかねえ。そんなんを学んでいったがよねえ。そんでなんとなくやっとったことを申し訳なく思うて来るようになったんよねえ」
展示会は仕事を解って欲しいために始め、10年で独立し、50年目にして解ってきたと言います。
「大きな視野を持って見るということよねえ。世界中の問題として、日本の中で生かされていて、鋳金の銅鐸の中で、たいへんな中に生かされているので、引き継いでいかなくてはいけないちゅう思い出やりゆうがよねえ。技術、技法を引き継いで行くということやね」
「あたわり 言うんかねえ。備わったものいうんか。与えられたことやねえ」
美しいものを作る
「田んぼをする時も、苗の身になって、稲を刈るときも、どのくらいの高さで刈ったらいいか、切り株の高さを考えてするとか。来春、田んぼをおこす(耕す)時におこしやすいように」
仕事中もきれいにしたい。大澤さんは一つの作業が終る度に次の仕事へ気持ちを移しながら掃除をする。
いつも綺麗に仕事場を保つことは、美しいものを作るという「気持ち」なのです。
大澤さんのお話には、技術的な話をする中でも、大澤さんのする作業の意味として大澤さんの想いが語られる。
「立山の朝、森羅万象」
稲と話をしながら、光や水のバランスをを考える。稲の気持ちを考えるいうんかねえ。ほかの動物とはちがう。稲も生き物ながよねえ」
「立山、4月5月の田植」
「歴史の中の自分らあで、忌まれた(畏敬すべき崇高な)ところで生かされとるわけよね。
銅鐸とかに繋がってるよねえ」
大澤光民さんからの言葉より
私が大澤さんについて語ることは何も無くて、ただここに大澤さんの言葉を綴ることで、大澤さんが見えるのだと思いました。
自分の信念で、自分が御縁として巡り合った技術を、自ら継承する責を示し、その大切さを実感して継承する大澤さんの姿は、私たちに大事な何かを教えてくれている気がします。
大澤さんの高山の言葉を思い出しながら書きましたが、言葉尻の表現が違っている部分もあるかもしれませんがご了承ください。
2010年 10月
文・写真 Makkiko
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